最初は戸惑ったけど、今はありがたい。メキシコ生活で慣れたこと
- Taro Maruwa

- 12月16日
- 読了時間: 4分

メキシコに来たばかりの頃、正直に言うと「これはちょっとキツいな」と感じることがいくつもありました。時間は読めないし、約束はズレるし、思った通りに進まないことばかり。日本で積み上げてきた感覚が、そのまま通用しない場面に出くわすたび、知らないうちに力が入っていたように思います。
それでも、しばらく暮らしていると不思議な変化が起きます。環境が劇的に変わったわけではないのに、「あれ、前より気持ちが楽かもしれない」と思う瞬間が増えていく。振り返ってみると、それはメキシコに慣れたというより、自分の構え方が少し変わった結果だったのかもしれません。
時間が“きっちり”じゃないことに慣れた
最初に戸惑ったのは、やはり時間感覚でした。待ち合わせは遅れるのが前提、手続きは想定通りに進まない、「今日できる」と言われたことが、翌日になるのも珍しくありません。
最初はそのたびに、心の中でブレーキを踏んでいました。なぜ守れないのか、なぜ連絡がないのか。日本基準で考えれば、どれも“改善すべきこと”に見えてしまいます。
でも、ある時ふと気づいたんです。待っている時間に、そこまで強くイライラしなくなっている自分に。「まあ、こういう流れだよね」と思えるようになった瞬間、時間に対するストレスが、驚くほど軽くなりました。
時間がルーズになったわけではありません。ただ、「完璧にコントロールしなくても大丈夫」という感覚が、少しずつ身についていった。それは結果的に、心の余白を広げてくれました。
人との距離が近いことに慣れた
メキシコの人たちは、とにかく距離が近い。初対面でもフレンドリーで、よく話しかけてくるし、プライベートな話題にも自然に踏み込んできます。
来たばかりの頃は、その距離感に疲れることもありました。「ここまで話す必要ある?」と感じる場面も正直あったと思います。
でも、慣れてくると見え方が変わりました。困っているとき、誰かがすっと声をかけてくれる。手続きがうまくいかない時も、「一人で抱え込まなくていい」空気がある。
深入りしすぎなくてもいいし、無理に合わせる必要もない。ただ、人の温度が近くにあることが、こんなにも安心感につながるんだと、後から気づきました。
生活の“雑さ”に慣れた
日本で暮らしていた頃なら、気になって仕方がなかったであろうこと。ちょっとした手違い、説明不足、仕上がりの粗さ。メキシコでは、それらが日常の一部として存在しています。
最初は「なんでここがこうなる?」と、いちいち引っかかっていました。でも、ある程度暮らすうちに分かってきます。それで世界が壊れるわけじゃない、ということに。
多少ズレていても、ちゃんと前には進んでいく。完璧じゃなくても、生活は回る。この“雑さ”に慣れたことで、自分自身にも少し優しくなれた気がします。
完璧じゃない自分に慣れた
一番大きかったのは、ここかもしれません。日本にいた頃の自分は、無意識のうちに「ちゃんとやらなきゃ」を積み重ねていました。仕事も、生活も、人との関わりも。
メキシコでは、その基準がそのままでは通用しません。最初は苦しかったけれど、続けていくうちに「今日はここまででいいか」と思える瞬間が増えていきました。
60点でも、今日は十分。明日また少し進めばいい。そう思えるようになってから、心と体の疲れ方が変わったのをはっきり覚えています。
慣れたのは、メキシコじゃなくて“自分”だった
振り返ると、慣れたのはメキシコの文化や生活そのものではなく、その環境の中にいる自分自身だったのかもしれません。
最初は戸惑ったことも、今ではありがたい。そう思えるようになるまでには、時間も失敗も必要でした。でも、そのプロセス自体が、駐在生活の価値なのだと思います。
もし今、「なんだかしんどいな」と感じている人がいたら、それはうまくいっていないサインではありません。変化の途中にいる、というだけのこと。
メキシコでの暮らしは、自分の基準を少し緩め、新しい感覚を受け入れるチャンスでもあります。気づけば、前より少し肩の力が抜けた自分に出会えるかもしれません。






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